6 道の道
Kadota先生
今回は、格神義にいたる霊祭道の三つの道の道の道についてお話します。
格神とは人間が神に至ることを昔の言葉で格神といいます。格はいたるとよみます。
格神にいたる三つの道のなかで、一番手っ取り早いのが、道(どう)の道です。
道徳的に親に孝行して、夫婦仲良くして、教育勅語に書かれていることを全部踏み行いますと、これは道徳的な道です。
道徳的な道とは、人格の向上、品性の完成が道徳の目標です。
これを一生懸命にやっておりますと道が開けてくる。
道が開けて最後に神様が守るという。
神様に至ると格神という状態になる。
祈らずとも、神は守らんという歌の趣旨ですね。
孔子にしても孟子にしても、道の道から格神に至った人なのです。
他にも釈迦、キリスト、ソクラテスなどの聖人がいます。
また、聖人から道徳や哲学を学び時代を導かれた立派な御方々が多勢おいでになられます。
これらの偉大な方々が全く信仰や行をなさらなかったことはないかと思います。
信仰や行をせずとも、己を律することによって道徳的にその身を正し、道を歩まれたと思います。
この宇宙の森羅万象の現象をながめ、これを自然法則と同じように、思想的に体系づけたものが人の道です。
人はこの現象の世界において金銭的な幸福、家族の幸福、身体的な安心幸福、あるいは名誉という幸福を願うことでしょう。
解脱し、極楽浄土あるいは仁恕を踏むことができるようになりたいと思う方もいるでしょう。
しかしながら、道徳の道は、それぞれの国や時代を生きた法則や経験に裏付けられていれば、道を説く御方々によってその色彩が異なり、正邪の判断が困難になることは言うまでもありません。
管理人wataame
道徳は時代によって変わっていくことはわかりますが、親孝行や夫婦仲はどの時代でも通用する不変な道徳だと思います。教育勅語で検索すれば、沢山表示されます。時代を違わず人間としての理想的な生き方だと思います。
Kadota先生
宇宙の法則から人間が見つけ出した人の道は、このように多くの内容があり、違いや歪みがあります。
この歪みを正す必要があります。
この歪みを正すには十言神呪が必要になってきます。
ただ、今回は「道の道」についてのお話なので、繰り返しになりますが、道とは、普通に使われている意味の道徳ということです。
人の道を踏むには、聖人・神様を手本に知恵を借りて歩まなければなりません。
正しい道を歩むならば、必ず幸福に至るのです。
管理人wataame
以前の十言神呪序説のお話の中に、神懸かりになる時に、神様が人間に付く、人間に降りて来られる場合、人格と品性との上に降りて来られます、とお話されていました。
このことからも道徳や修養は格神に至る「道の道」であることがわかったと思います。
Kadota先生
最後に、三統義の霊祭道の三つの道の伝授についてお話します。
門田博治先生は、霊祭道の「霊の道」と「祭の道」を神様から授かりましたが、「道の道」は授かっていません。
「道の道」は、法学博士として大成しながらも宗教の世界に入られた廣池千九郎博士でした。
博士はそれを「最高道徳」として完成させました。
十言神呪の著者である石黒豊信先生は、著書のなかでこの「最高道徳」こそ神々の道徳を記したものであり、神々の世界の道徳を人間世界に写し取ったものであると述べています。
これは人間が「誠」に生きる道を説いています。
しかし、その「組立て」については示していません。
「最高道徳」は、後で紹介する十言神呪の「第四の組立て」へとつながっていきます。
これまでのお話を通して、十言神呪の下準備が終わったように思います。これからは十言神呪を中心にお話をしてゆきたいと思います。
ありがとうございました。
管理人wataame
いよいよ、十言神呪のお話が出てくるのですね。楽しみです。
ありがとうございました。
管理人の補足
今回のお話は、法絲帖(ほうしじょう)の地の巻のp72-73、p161、十言神呪p7-8、41-43を参照にしています。
こちらのサイトは、石黒豊信先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。
法絲帖は、著者は門田博治 発行者は三統義塾、石黒豊信 印刷は中澤印刷株式会社です。残念ながら絶版で、入手が困難な書籍です。
十言神呪は、著者は石黒豊信 発行所はミヤオビパブリッシング 発売元は(株)宮帯出版社です。宮帯出版のWebサイトをはじめ、物販の取り扱いをしているWebサイトで入手可能です。
多くの方がこの真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。