28 十言神呪 第四の組立て 顕(ア)字神呪

十言神呪

28 十言神呪 第四の組立て 顕(ア)字神呪

Isiguro
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今回は、第四の組立て 顕(ア)字神呪 についてお話いたします。
Isiguro
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今回は、第四の組立て 顕(ア)字神呪についてお話いたします。

ア字神呪、即ち「最高道徳」の「人類実生活の本末に関する原理と最高品性完成の方法」です。

主宰神は天照大御神です。

このア字神呪は裏側にカ字神呪、即ち、「神の原理」があります。
神の愛・慈悲を述べています。

ア字神呪はこの裏側の原理と併せて読むことで理解が深まります。
Isiguro
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ア字神呪人格の基である神の愛・悲であることは、
第三の組み立てにおいても示してある通りです。

人間の心の中にこの神の愛、慈悲、
さらにその奥には最高品性が眠っているのです。
それを目覚めさせなければなりません。

「道の道」における神の愛、慈悲は
人間の一体どこから生ずるものでしょうか?

さて神の愛の本質は何か、
またはどこからくるものであるのか、
それはフタから湧き出るものです。
フタの中には、神仏の性(仏性)がそのまま休んでいます
この中に仁義礼智信というような
儒教にの徳目にあたる本質が全て潜んでいます。

神々から与えられた深い精神の心と言ってもよいのです。

それが人の心となると、なぜに歪みや曇りが生ずるのでしょうか?

四魂の曇りとミヨの曇りに原因があるのです

人間はこのミヨの影響を受けながら成長します。
その影響を受け遺伝的に誘導されていきます。
ミヨの感化を受けても本質は変わらないけれど同じ趣向、同じ好みを持つようになります。
これが遺伝という大きな影響です。
人間は好むと好まざるに関わらず、
家々の何かの遺伝的なものを
手さぐり寄せて成長することになります。

それが一霊四魂に対しての外からの影響です。
このようにして人間は前世を忘れたままに業因縁を持って
この世に生まれてきます。


さらに現世の生活を送るに従ってミヨがつきます。
守られつつミヨの欲望を受けて生活をすることになります。

人間は行因縁を持ったまま人生を終えることは許されません。
それではこのような四魂に包まれた一霊のフタはいかようになるのでしょうか?

フタは、業によってがんじがらめになりながら存在します。
これがある時その人の運命の動きによって
ふと光るときが幾つかあります。
それらの業を解き放つ時が幾つかあります。

(1)その一つの区切りが例えば七五三などの人生儀礼の時です。
(2)二つ目の道筋は前回述べました。純粋生徒の学問に引き寄せられ、
親しむことです。
(3)三つ目として、人間の業を落とすことが瞬間的にあります。
誕生するとき神様より命じられた使命です。
いわゆる儒教のいうところの天命です。
その天命を果たすために人間はくさくさの苦難や苦労に遭います。
苦難にあってその業を落として天命を果たすことができます
また、自らの哲学によって、あるいはおのずと自らの業を悟り、
宗教的な行に入るということもあります。
それぞれの宗教によって目指すものが異なるので、
落とす業も違ってきます。
(4)四つ目として、宗教的な行に入ることです。
宗教的な行によって、神の光を一瞬にして引き出すことができます。
それらが人間としての愛の源です。
人間は本来においてそういうものを秘めているというのが重要なことなのです。
(5)五つ目として、生まれつきに備えている仏性が光ることによって、
人間に愛というものを醸し出すことができます。

十言神呪の「道の道」のカ字神呪に通ずる問題です。
即ち「最高道徳」を学ぶことによって人工的に光り出さそうというのです。

これらのことに対して、神様から差し使わされたイツが
役割を果たしていることはいうまでもありません。
また、それぞれのご先祖様の明魂(限りなく神様に近いご先祖様)の
導きがあります。

Isiguro
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人間というものは本来心の中に愛というものを
醸し出す条件を備えているものです。

しかしそれを働かせることができず、
因縁と因縁が衝突し、それが多くの諍いの原因になり、
お互いが苦しむことを、この現世で行っているのです。

人間が現世に生まれ落ちる魂の中に違いがあります。
すなわち、人間がこの現世に誕生して、
落とすべき業因縁の違いがあります。

門田先生は、「人は悪くないが、人と人との間が悪いのだ」といっています。
その間に存在するものを荷って人間は生きていかねばならないのです。

この業因縁を落としていくことが「最高品性」を進めることになるのです。
業因縁の奥の奥にあるのは、神仏の光ですが、
それがミヨの業因縁によって曇らされています。


このように人間は業を果たすために、
神の愛のうちに現世において生活をします。
Isiguro
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ア字神呪の神歌にある「ミスマル」というのは一体何でしょう。

 天照らす 御親の神の 大調和の 生命射手らし 宇宙静かなり 

門田先生は、「霊祭道の三つのものが揃っているものをミスマルという、完全というのがミスマルです。」と法絲帖に記しています。

人間のミスマルは本来において
人間の最深部にあるフタ(直霊)の中に存在するものです。
このフタを大神様のミスマルの珠と照らし合わせ、
神様のミスマルの珠によって、生命を射られることによって、
人間が解脱の糸口を得るのです。

このミスマルとミスマルが相照らし合わすことによって、
人間は救われ、現世での行を終えていくものです。

人間は本来そのように作られているものです。
ですから神様のミスマルの光を賜ることは誠に重要なものです。

かくして人間はフタの中に隠れておるミスマルの珠を
成長させなければなりません。
これを成長させない限り人間としての務めを
果たしたことにはなりません。

フタの中のミスマルの珠を輝かすことによって、
人間としての成長があります。
すなわちここに信仰というものが偉大な原動力になるのです。

信仰というのは単に身にまとう因縁を消すばかりでなく、
フタの中に隠れているミスマルの珠を輝かし、
成長させることにあるのです。

ここに信仰の真の姿があるのです。
万物はミスマルの珠を授かっています。
人間と同質のものです。
ですから万物や人間とは「四海兄弟」であり、
同胞としてすべてがむすびつかなければならない。

これが愛です。ミスマルとはマスミ(真澄)のことです。

ミスマルの珠が輝くことによって、フタが輝いてきます。フタの輝きは、一霊四魂に、ミヨに輝きを増すことになります。
Isiguro
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次回は、第四の組立て 幽(カ)字神呪についてお話いたします。
よろしくお願いします。

こちらのサイトは、石黒豊信先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。

管理人の補足
管理人の補足

今回のお話は、十言神呪のp157-165を参照にしています。

十言神呪は、著者は石黒豊信 発行所はミヤオビパブリッシング 発売元は(株)宮帯出版社です。宮帯出版のWebサイトをはじめ、物販の取り扱いをしているWebサイトで入手可能です。

多くの方がこの真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。

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