29 十言神呪 第四の組立て 幽(カ)字神呪
Isiguro
今回は、第四の組立て 幽(カ)字神呪です。
主宰神は天照大神です。
「最高道徳」の「神の原理」です。
カ字神呪を述べるに当たって最も重要なことは、
この現世の世界の中において、
神様の存在を抜くことはできないということです。
神様の存在は絶対的なものです。
神様の存在しない道徳は平版となります。
肉体と肉体との交渉術になり、
せいぜい人格と人格の関係にとどまります。
この現世だけでの円満な生き方になります。
それでは人間がこの現世に誕生した意味が失われてしまいます。
Isiguro
人間の外に神様が存在し、その神様と共鳴するところのものを
我々人間1人1人は賜っています。
一霊四魂を持ち、その一霊すなわちフタの中に
「統(ス)」に神様の御稜威がどんどんと入ってくるのです。
ここに信仰の意味があります。
神様の性質である一霊(フタ)の中には、
先にも述べましたような、仁義礼智信というような、
真に重要な人間の心そのもののものが入っているのです。
すなわち神様の姿が入っているのです。
その表れが人間の慈悲であり、愛であります。
廣池博士は、慈悲の10か条として具体的に述べておられます。
神々の仁義礼智信に基づいた慈悲が、
残念ながら人間の持つ業因縁によって遮られているのです。
その業因縁は四魂の中に業として入っており、
同時にミヨが担うものです。
このミヨが数々の業因縁のままに動かされ、
業因縁によってその慈悲・愛の輝きを失せているのです。
そこで人間の内にあるこの神様の輝きをどのようにすれば導き出すことができるのか。
これが重要になります。
存在し妨害するものがあります。
すなわちそれがミヨです。ミヨの存在を少しでも軽くするならば、人間としての慈悲の輝き、愛の輝きが生まれやすくなるのです。
ミヨの浄化法を考えます。
「タマヒラキ」も伝えました。
この慈悲の働きを人工的に出そうとするものです。
人工的に開くことによって、フタ即ち、
一霊の輝きを一瞬に輝き出そうというものです。
さらにミヨをどのようにして浄化するのか、
どのようにして神の心を通わすことができるのか、
それは肉体の扉を開くことです。
廣池博士は「慈悲の十か条」として、
人間が人工的に慈悲を作り出す方法を述べております。
これは肉体を宇宙に拡大開放し、フタを輝かす方法です。
人間の世界として荒行ですけれども滝に浸かり水を被り、
あるいは断食をすることによって、
ミヨの影響、業因縁を少しずつ落とすことができますが、
このような荒行によって業因縁を落とそうとすると、
ミヨが固定的になり、ミヨで囲まれたフタを
かえって開くことができなくなります。
心を固くし、頑固な人間にするわけです。
これが荒行による大きな欠点です。
なぜかといいますと真澄神によって、
導かざる荒行であるからです。
真澄神に導かれた荒行は決して人間の心を固くすることはありません。
必ずその心を柔らかくし、春の火のごとく導くものです。
Isiguro
真澄神ならざる神をどのように浄化していくか、
真澄神の教えをどのように伝えていくのか
ということが、この21世紀における実に重要な課題となっています。
神々の世界は人間世界と似ているのです。
肉体を鎮めることによって、
慈悲の心を発露させることができることを述べました。
いま一つの方法は
ミ字神呪の「伝統の原理」を通じて、真澄神を信仰することです。
この信仰が真澄神からの純粋正統の学問への導き(因縁付け)がで
きるようになるのです。
これが真の信仰になります。
このように「伝統の原理」は真に重要な働きをします。
信仰を伝えましたが、その心は己のフタの中にある仁義礼智信の信です。
この信はフタの中にある信仰の種です。
これが表に、あるいは裏に現れて、神々との接触を求めているのです。
Isiguro
信仰の極意を伝えます。
「神が神を神してる」です。
我々自身がどっぷりと天照大御神のご愛にたっぷりと浸ること、
即ち、それは肉体を忘れ、ミヨを忘れるもとなのです。
己の中の神が、外なる神を祈る。
その信仰の姿が神をしていることです。
こうして我々人間は神の御愛の中に
たっぷりと浸ることができる。
これによってもミヨの壁を破ることができるのです。
即ちそれは、その肉体を限りなくその神々世界へと結びつけ、
そして肉体を没却した後に、この天照大御神の御愛を賜わるのです。
そうすることによって外からミヨを浄化することができるのです。
そのような行もあるのです。
これは一つの鎮魂です。
ですから、カ字神呪によって、太陽を飲み込むという行は、
神の愛というものを心の中に取り入れるのです。
それが慈悲の心を起こさせる基になります。
この神こそは天照大御神であり、
天照大御神の働きの姿であり、
真澄神であることに間違いないのです。
即ち、カ字観法です。
観法については、今後紹介していく予定です。
Isiguro
次回は、第四の組立て 統(ス)字神呪をお話いたします。
よろしくお願いします。
管理人の補足
今回のお話は、十言神呪のp192-199を参照にしています。
こちらのサイトは、石黒豊信先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。
十言神呪は、著者は石黒豊信 発行所はミヤオビパブリッシング 発売元は(株)宮帯出版社です。宮帯出版のWebサイトをはじめ、物販の取り扱いをしているWebサイトで入手可能です。
多くの方がこの真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。