31 十言神呪 第四の組立て 休(ミィ)字神呪

十言神呪

31 十言神呪 第四の組立て 休(ミィ)字神呪

Isiguro
Isiguro
今回は、第四の組立て 休(ミィ)字神呪をお話します。

休(ミィ)字神呪、主宰神は天御中主命です。
「道の道」の「最高道徳」では「自我忘却の原理」です。

休(ミィ)字神呪は最も重要な神呪です。
Isiguro
Isiguro
この神呪は人間の中のフタが宇宙に照り輝き渡っている様を述べています。
もはや肉体の中から五感六感を通して外を眺めるのではなく、
そこに肉体は存在せず、フタそのものから眺めているのです。

休(ミィ)字神呪は「最高道徳」の「自我忘却の原理」に当たり、
その核心をして、自我忘却神意同化、自我忘却絶対服従と教えています。

これより他に言葉のないほどにその核心を突いている言葉であると思います。

全ての自我の源である肉体を捨て去って、
神様の肉体とし、フタの中には神様の心を入れます。

これが最高品性の最も重要な道であるのです。
Isiguro
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自我忘却を肉体がになう自我意識、理性の滅却を考えると
非常に抵抗を感じましょう。
度々述べましたように、肉体を限りなく透明にして、
神々の世界にまで至るまで滅却していく
のです。

肉体を透明にしていけば、自我意識はおのずと消えていきます。

そこに入るには理性が必要であり、
また向上しようという欲求はなければなりません。

そこに残るものは人間の品性しかありません。
この品性を神様に近づけ、どっぷりと神様の御稜威に浸らし、
日々これを続けていきます。

それゆえに自我忘却神意同化、自我忘却絶対服従
極めて重要な原理であるのです。
その滅却を現世の肉体意識に限定して考えると間違いが生じます。

これがムユということです。

この考えの一つでもって、
「ムユ」は生きた人間が肉体を持ったまま霊界に移行する法則です。
門田博治先生はこれを実際に行い、
「ナナヤの宮参宮記」として書籍に残しています。
この考え方ひとつで、世界は限りなく広く大きくなり、
あらゆるものに対して解釈や応用が利くのです。

人間が品性に至るためには、自我忘却しかありません。
肉体という殻を破らなければその奥にあるものは育たないのです。
その上に伝統の原理、すなわちミ字神呪を実行することによって
神様と通じることができるのです。

人間と神々を繋ぐ線路、立の道筋が出来上がり、
人間の一番深いところにあるフタ
神様の水が流れ込んでくるようになります。

この自我忘却神意同化、自我忘却絶対服従の極至は信仰です。この信仰により、真澄大神の世界に届くのです。
さらにこの信仰によってフタを育てミスマルの珠を輝かせることができます。これが人間の真の姿でなければなりません。

Isiguro
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このように生活を続けるならば、
必ずそこに「徳、隣あり」ということで、
誰かの助けが来るものです。

これが人生の不思議なところでありましょう。
その助けに対しては、神様の導きを感謝します。
その助けの来ないところには、
ひたすらに神様の御前にその反省をいたします。

そのときに周囲から会社や家族から様々な悪しき言葉を受けるかもしれません。
それらの全てを、己の痛みとして甘んじて受けます。

その中に、肉体を忘却するのです。
そのようにしてこそ、
真の人間心の最高品性へと向かっていくのです。

肉体人間は、霊的なものを内に隠しつつ、
現世の世界を送らねばならないのです。

ミィ字の神呪の神歌は、
「見はるかす 朝日あまねき 碧御空 星影のはや 見えずなりけり」です。

星影には、肉体の暗闇の中から外の世界を眺める人間の姿があります。
それが考え方を変える、即ち自我忘却することにより、
肉体を脱ぎ捨てると、太陽の輝く明るい世界が人間の心の中に成就するのです。

「神ここに生きたもうなり、神、ここに為し給うなり」と
喜びを繰り返します。

ミィ字観法の極致であります。
そのように、このミィ字神呪、「自我忘却の原理」は全ての原理の基礎となる最も重要なものです。

Isiguro
Isiguro
次回は、第四の組立て 用(テ)字神呪をお話します。
よろしくお願いします。
管理人の補足
管理人の補足

今回のお話は、十言神呪のp185-192を参照にしています。

こちらのサイトは、石黒豊信先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。

十言神呪は、著者は石黒豊信 発行所はミヤオビパブリッシング 発売元は(株)宮帯出版社です。宮帯出版のWebサイトをはじめ、物販の取り扱いをしているWebサイトで入手可能です。

多くの方がこの真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。

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