32 十言神呪 第四の組立て 用(テ)字神呪

十言神呪

32 十言神呪 第四の組立て 用(テ)字神呪

Isiguro
Isiguro
今回は、第四の組立て 用(テ)字神呪をお話します。

用(テ)字神呪、主宰神は少彦名命です。

「最高道徳」では「人間社会における生存競争の原理」として、
現世における人間の生き方を述べています。
人間はどのように生きているのかを述べ、
さらにどのように生きるべきかを述べています。
Isiguro
Isiguro
この宇宙は秩序、秩序と調和と統一のとれた世界です。
宇宙の中に存在する地球もその法則のうちにあるので、
地球上の全てのものは秩序と調和と統一を保たねばなりません。

しかし法則から外れた様々な競争が行われています。
宇宙的時間から見ればほんのわずかな時間ですか
人間の歴史は秩序と調和を乱すことを繰り返しています。

そのような地球の上において
人間が生きるためには相手との関係を回復し、
万物とともに、
秩序と調和と統一のとれた世界を創造していかねばならない。

理性を持ち、神を認める人間は
どのように生きねばならないのか、
霊的存在である人間はどのように生きるべきか。

人間はそういう命題を荷って生きているものです。
Isiguro
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少彦名命は大国主命とともに日本の国作りに貢献された神様です。
あらゆる歪んだものを正されるというお働きをなされる神様です。

人間は相手との歪んだあるいは正常でない関係において
人間関係に苦しみます。

眼の前に迫った問題に対して、
どのような対処をするといいのか、
原因を探るだけで、荷の重い問題です。

その歪みの生じてきた相手を責めるのか
あるいは己の不徳を反省するのか、
様々な進み方があります。

ラ字神呪では、
人と人との関係において
天命の命という見方から相手より良いことも悪いことも
影響を受けていかねばならないことを述べました。

人間はそこに起きたことを現実の問題として捉えてはならない。
現実に対してこだわりを持ってはならない。

これがムユの考えに繋がるものです。

今眼の前に起こっていることは
神の計らいであると思うことによって、
この現象界を突き破って進み、
霊的世界へと心を運んでいきます。

そうすることによって苦しみ、
痛みを和らげることができ、
そこに真の人間が生まれます。

これが現象が生じた際において、
人間のとるべき方法です。

即ち、水の上に映った月の姿ではなく、
俺の己の上に輝いている真の月を見なければならないのです。
日毎そのような生活を送ることで、
人間は次第にその霊体を浄めることができます。
この観点に立てば肉体は次第に消滅せられていきます。

また一方において、人間は社会を生きていくとき、
良き環境、良き相手と出会うこともあります。
そのときには、ここに良き富が生まれてきます。
その際においてもこの富を物質界に留めてはならないのです。
この富を神々のもとに運ばねばなりません。

常に現象において生まれたものを
己のものとして取ってはなりません。
良き人間関係によって麗しい富が生まれ、
良い結果を得たときには、それをこの人間界、現世を超越して
神様の御前に捧げて
「麗しい人間関係によってこのような立派なものを頂戴することができました」と
感謝を申し上げるのです。
全てを神の御前に捧げることにより
良き因縁はさらに良くなり、悪しき因縁は消え去っていくのです。
Isiguro
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ではその賜った富はどのようにして使うべきでしょうか?

これは現生において、嘆き苦しんでいる方々に対して、
救いの手として捧げるのです。
すなわちこの現世に来て困っている人々に対して、
神様から賜った恵を神様の慈悲としてそっと差し出すのです。

賜った富は良き方向に動くのか、
悪しき方向に動くのか、常にその分岐点に立っています。
神様に捧げることによって、
己のものではない、現世のものではない、神々のものであると思って
万物のために使用する時、それは良き因縁としてはたらきます。

それを己のものとして執着する時、
悪しき働きとはいえないまでもその場限りとなります。

このように富は人間を分岐点に置く重要なものです。
富を神様に捧げることは、大神様の手助けをすることになります。
Isiguro
Isiguro
ここに問題があります。

ラ字神呪においても述べましたが、人間と人間との交渉です。
1人の人間あるいは団体に対して、富を捧げることは交渉が生じます。

そこには己と相手との間に霊的な交流が生じます。
今自分の手元にあるささやかな富を神様に捧げます。
それを神様の御依差しとして苦しんでいる方々に差し出すのです。
相手に神様のもとものとしてお使いをいただきます。

するとすべてが解きほどけるのです。
何がほどけるのかといいますと、
己の持っている業因縁がほどけるのです。

誠心が業因縁をほどくのです。
また人間関係を良くするために
積極的にこちらが相手のためにと
身を捧げることもありましょう、
あるいは間接的に出すこともありましょう。

それらは全て同じです。
例えば赤十字のような団体に対して、
一旦神様に捧げて、
様々な救援金として使っていただくのです。

必然的にこのような自分の持つ富を犠牲的に使うとき、
必然的にくさぐさのことが成就し、
自身の品性を向上させます。

この「生存競争の原理」は秩序と調和と統一のとれた世界を導き、
自分の霊性を向上させるものとして重要であるのです。
Isiguro
Isiguro
神様から賜った富とは何でしょう。

お金や品物でしょうか?
健康でしょうか?
地位でしょうか? 
富とは金品だけでなく、今自分の身につけている全てです。

ここで重要な心得を述べます。
神様に捧げたのですから、
その使途については思いを残さないこと
です。

何々に寄付をしたなどという思いを持ってはなりません。
そういう心を脳内から全て捨てます。
それが鎮魂になるのです。
Isiguro
Isiguro
最後にテ字神呪によって、
対人関係によらずに自分の品性を向上させていくには、
如何様にすると良いのでしょうか?

この場合は、その相手が人でなく神様になるのです。
我々は万物に相対するとき、
眼の前にある富を神々に捧げて奉仕に勤めます。

ここに極まるところ自分自身を神様に捧げます。
そして己の解脱を図らねばなりません。

これが人間として最終の課題となります。
その本質を伝えるならば、神々と己が一体になればならないのです。

その際、尊敬、尊厳する神様は真澄大神です。
真澄大神の天照大御神、または大国主命を尊厳することが重要です。

さらに少彦名命、住江大神の神様への信仰は己の因縁の解脱進める上において重要です。またこの信仰において真の生存競争を勝ち抜いていくことができるのです。
Isiguro
Isiguro
次回は、第四の組立て 小(ホ)字神呪 をお話します。
よろしくお願いします。
管理人の補足
管理人の補足

今回のお話は、十言神呪のp175-184を参照にしています。

こちらのサイトは、石黒豊信先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。

十言神呪は、著者は石黒豊信 発行所はミヤオビパブリッシング 発売元は(株)宮帯出版社です。宮帯出版のWebサイトをはじめ、物販の取り扱いをしているWebサイトで入手可能です。

多くの方がこの真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。

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