20 十言神呪 小(ホ)字神呪
Isiguro
今回は、小(ホ)字神呪です。
ホ字は少彦名命の愛を示すものです。
キーワードは愛です。
人間の霊体は肉体の中に閉じ込められた存在ですが、
少彦名命の御稜威が差し込むと肉体の中の霊体を覆う業因縁が解け、
消え失せ、霊体がおのずから輝いてきます。
おのずと輝き、本当の人間らしさを取り戻し、
本当の自分を知ることができるようになります。
優しい心にこたえる愛がほとばしり出るようになります。
少彦名命の御稜威を求める、それがホ字神呪です。
Isiguro
小(ホ)字神呪 神歌は
ほのぼのと朝霧の立つ深山路(みやまじ)に 母恋ふ雉子(きぎす)の啼く声愛しも
主宰神は、少彦名命です。
この場合の親鳥のような神が少彦名命である。
衆生の如何なる苦しみも悲しみも解消してくださる大慈悲の神である。宇宙の星々の整然たる運行、生物体の緻密や合理的な組織を見ると、神の御本質は「理」である様に思えるが、更に深く観察すると、神の大にも微にも、まことに行き届いた麗しい御心遣いに感動する。それ等を運営、維持するために、日夜の区別なく働いていられる事を感じる。実に「神は常に働き給う」を実感する。
愛がこの地上から姿を没するなら、金城湯地も音を立てて費え去るであろう。
●愛が何ゆえ、道の道の中に入っているのか
愛は人間を安心させ、癒す言葉となります。
肉体を持つ人間が、相手から優しい言葉をかけられると嬉しく、
相手に何かお返しをしなければと思うようになります。
苦難の中にあるほど優しく響きます。
優しい言葉は人間の心をやすらげ、
心の中の優しさを引き出してくれます。
これが社会生活を円滑に送る人間の心です。
これが人間の道の道の中の法則になるわけです。
テ字(因縁)のすぐ上に同じ少彦名命のホ字(愛)があることは、
大神様の人間に対する優しい慈しみを感じます。
オ字(我)から出発した人間の苦しみの中に、
テ字によって何らかの精進をする心が生まれ、
神様を求める心が芽生えるが、そこに愛の心が入ってくるのです。
神様の優しさを感じます。
ここに人間の歪みを正そうとする営みが始まるのです。
Isiguro
ここに大きな問題がります。
天津神の少彦名命が現象界と幽界の両方にあるのかということです。
理由は、天津神として少彦名命は如何なる存在の中においても
決して相手に染まることなく、神様として究極の存在であるのです。
現象界という人間の世界に入っても、
決して御身が狂うことなく、
相手の歪みを正すことができます。
幽界においても同様です。
それは、大神様の御身が火であるからです。
火はあらゆるものを溶かし、
あらゆる業因縁を落とすことができます。
愛をまっすぐに整えて生きるにはマ字が必要なのです。
即ち真澄信仰につながらなければならないのです。
それがない限り(道の道)もここで止まります。
真澄信仰ときちっとつながるとき、
その上のマ字につながります。
ここが、信仰がある道徳か、信仰なき道徳かの分かれ道になります。
誠を極めんとしても何か心に残るものがあるものです。
真の誠に至る道は真澄信仰です。
この信仰によって上のマ字に昇るのです。
今一つのキーワードを(救い)とします。
Isiguro
以上です。
次回は、三(ミ)字の神呪です。
よろしくお願いします。
管理人wataame
ありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。
管理人の補足
今回のお話は、十言神呪のp80-83を参照にしています。
こちらのサイトは、石黒豊信先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。
十言神呪は、著者は石黒豊信 発行所はミヤオビパブリッシング 発売元は(株)宮帯出版社です。宮帯出版のWebサイトをはじめ、物販の取り扱いをしているWebサイトで入手可能です。
多くの方がこの真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。