2 霊学について(2)
Kadota先生
前回の続きで、
霊学とは霊的に人間とは何かということを知っていただくために
(1) 自分とは何ですか
(2) ヒト(自分)はどこから来たのか
をお話します。前回は、(1)自分とは の全体像をお話しました。今回はもう少し深堀していきますね。話の手順としてはヒト・フタ・ミヨ・イツについてお話していきます。
管理人wataame
はい。楽しみです。よろしくお願いします。
Kadota先生
まず、ヒトからお話します。
ヒトとは人間の霊です。人間の霊、肉体についている人間の霊です。これがヒトです。
我々はみんなヒトなのです。また、受精した時が誕生日で、その瞬間に、ヒトはその時に生まれてるものです。そして、死が訪れ、肉体が破壊され、最後にヒトが人間から離れていくのです。
ヒトが生まれると、それからは肉体を作っているいろいろな要素が、ヒトといいう一つの主人公に仕えて、我々の細胞は、全部ヒトという主人公に仕えている奉公人なんです。
食べ物は、私の体に入ってきた時に、私のヒトに仕える物質にかわっていきます。ヒトが消えれば、主人公を失うので、また、どこかの主人公を見つけなければならないので物質はバラバラになります。
管理人wataame
ヒトと名前があるので、自分自身そのものかと思っていましたが、自分の肉体を作ってくれる要素というか物質なのですね。
霊的なものではなく、物質的な要素なのですね。
Kadota先生
フタについてお話します。
先ほどのヒトだけが自分自身であるかと、古来から宗教や哲学などの人間のあらゆる叡知が答えを求めていますが、未だに分からないでいます。
ところがその答えがですね、フタなのです。
Kadota先生
フタを厳密に言霊で解釈すれば、「永遠なるもの」という意味です。
永遠に向かって行進をするものという意味です。
要するに、始めがない、だから終わりがない。つまり永遠となります。
別の言い方でいうと、生き通し、あるいは神の子である、神である、不死なるもの、あるいはいろいろな言葉が世界にはあります。
近年よく使われている実相だとか。これらは皆永遠なるものを意味します。その永遠なるものがフタなのです。
管理人wataame
言霊的とか、わかりづらいです。もう少し説明をお願いします。
Kadota先生
そうですね。今、ヒトが生まれたとします。生まれておるヒトがお仕えするものとして、別の言い方をすれば、そのお仕えするヒトの主人公として同時に配置していらっしゃるものがフタというわけです。ですから我々はフタでもあるわけです。
Kadota先生
さらに、人間のエゴ、利己心、このエゴはヒトの持っている本質です。だから人間をヒトと眺めた場合には、人間はエゴだけしかないものです。
フタを眺めますと、これは素晴らしいもんだということになります。仏というものになる。永遠なる生き物である。
般若心経に書いてある、不増不減、不憎不苦なるものが、フタなのです。このフタというのは、肉体があろうがなかろうが存在するものです。
管理人wataame
フタが永遠のものであれば、確かに私自身の本体のようにも思います。
漢字も直が充てられる理由もそこにあるのですね。
Kadota先生
三四(ミヨ)についてお話します。
我々が五感を感じる機能は、感覚と言いますが、この機能はヒトが司っているのです。その機能の上に現れて来るものとして、我々は環境というものを知ることができます。
ヒトはヒトを知るわけです。その我と他人との関係を司っている霊をミヨといいます。また、このミヨのことを、守護霊とも言います。
けれど守護霊といってもただ、守ってくれるだけでなく、それが導いて悪いところへもつれていきます。別の意味でいうと対して守ってくれているようには見えない守護霊というものが非常に多い。
この守護霊は、ほとんどが先祖霊で血筋なんです。その血筋がその人の守護霊になっており、守護霊が因縁を持っている。苦しみを思っている守護霊がつくと因縁がその方もどうしても行きます。我々が運命ということを信条とすると、この守護霊が問題になります。
その人の運命を決めるものは、ミヨ、すなわち守護霊なんです。
管理人wataame
守護霊は先祖霊が多いと聞きますが、守ってくれていない守護霊や守護霊の因縁も受けてしまうなんで、ある意味ちょっとショックです。
Kadota先生
運命はフトなり。今いうフタではないのです。
運命とはフトなり。
我々がたどってきた運命を調べてきますと、フト好きになった、フトそこへ行きたくなった、フトねえ、まあいいやと思って結婚したという風に全部フトなんです。
計画的にそうなったのではありません。それがその人の運命なのです。そのフトを決定するものが、ミヨ即ち守護霊なんです。
管理人wataame
今までの話では、人生が良くも悪くも守護霊次第のように感じますが。守護霊についてもう少し教えてください。
Kadota先生
守護霊は大体妊娠して2,3ケ月の間に必ず最初の一人が付きます。普通の人は3~4つ付いています。複数です。それでミヨといいます。
守護霊は絶えず交代し、一生涯付いていることはありません。まず一年に3~4の霊の内、一つあるいはほとんど変わっています。そういう時は、その人の運命転換というのが起きるのです。
性格転換というのが起きるのです。守護霊はどうして交代するのかといいますと、それが「先祖祭り」なんです。
先祖祭りをすることによって、守護霊が交代するのです。我々はこのミヨというもの、守護霊というもので運命づけられているのです。
管理人wataame
だからご先祖様を大事にしないといけないのですね。
私だったら、もっと強力にサポートしてもらえるご先祖様にずーと付いていてほしいけれど
Kadota先生
五(イツ)についてお話します。
イツとは守護神のことで、神様です。
Kadota先生
その神様が主体的に私を守ってくださる場合に、その神様を守護神というんです。
神様は雄走りという性能、働きがあります。
雄走りという働きは、要するに自分の力を減らす事無く、いくらでも分けることができる。いくらでも栄えて、そして、分けることができるという働きがあります。これを「さきはえ」といいます。幸福の幸は、「さきはえ」という意味なのです。
「さきはえ」が訛って幸い(さいわい)になっている。
幸福とは、これは二重の意味がありますが、自分の力というか真心というか、そういうものが他の物の中に入って芽生えた、その芽生え方が多いのを幸福というのです。
どこへ持って行っても芽生えなければ、それは幸福ではありません。夫婦の間でもお互いが、「さきはえ」しない場合は、不幸です。
そして、本当に幸福な人というのは、世の中のあらゆる物、あらゆる人の中に、自分の親切や真心が芽生えている人なのです。
ですから、「さきはえ」というものは、神様のような雄走りを、「さきはえ」の力を貰いたいと、こういう意味もあるわけです。
管理人wataame
違うかもしれませんが、人生に良い種を播くなんて言葉もありますが、それもそういうことでしょうか。守護神について、興味があるので深堀して教えてください。
Kadota先生
守護神は、その神様が絶対に自分のための守護神であるかということはわからないものなのです。
何かの縁で、そういう心があると、ああ前から守って頂いていたのだなあ、と後で分かることがあります。けれど、分からない人の方が多い。ましてや守護神と対面できるとはかなりの難事なのです。
守護神との対面についてはまた別の機会にお話しします。
守護神がなぜ付いているのかという理由は、守護神は宇宙全体の幸福を増量、増幅してゆくことが努めなのです。進化させる。個人の増量ではなく、全体を増量するという時に守護神が働くわけなのです。
ですから、守護神がついている人は、必ず現世の栄、繁栄をなすのです。あらゆる意味で。
それは物質の繁栄、精神の繁栄、心の繁栄、霊の繁栄もあります。貧乏だけど、子供だけはいい子供が何人も生まれたなど、そういう繁栄もあります。これが守護神の力、イツです。
管理人wataame
今日のお話で、私が思っている自分は、本来の自分であるフタ(直霊)ではなく、ミヨ(守護霊)に左右されている自分であり、守護神は宇宙的な幸福の働きのために自分自身がその役割を担うことで、幸福も享受できると理解しました。
ただ、幸福、繁栄にも種類があるようです。私は物質欲が強いので、少し残念なような。これもご先祖様(ミヨ)の影響かな。幸せになれるよう、感謝しよう。
Kadota先生
ははは。そうだね。最後に前回紹介した自分を構成している表と、自分自身について神様が申したことをあらためて紹介します。
前回も示したこの表は、私たち人間(自分自)を構成する要素をわかりやすく図示したものです。今回、ヒト・フタ・ミヨ・イツを説明して、自分とは何かをなんとなく理解してもらえたのではないかと思います。
これが人間なんです。そういう複合体なんですけど、
神様はこう申しています。
「ヒト我ならず、 フタ我ならず ミヨ・イツ我ならず ヒト・フタ・ミヨ・イツ皆我ならず」
一つ一つは自分ではなく、すべて合わせたものも自分ではない。
これは一即多、多即一の哲学というものです。または後でお話しますが、十言神呪の誠字の神呪でその意をつかんでください。
次回は、六(ムユ)・七八(ナナヤ)・九十(ココノタリ)・百(モモ)・千万(チヨロズ)のお話をしますね。
管理人wataame
あ、まだ半分なんですね。今回は内容にパンチがあって、理解力のエネルギー切れです。
次回も楽しみにしています。よろしくお願いします。
管理人の補足
今回のお話は、法絲帖(ほうしじょう)の地の巻のp58-63を参照にしています。
法絲帖は、著者は門田博治 発行者は三統義塾、石黒豊信 印刷は中澤印刷株式会社です。残念ながら絶版で、入手が困難な書籍です。
こちらのサイトは、法絲帖を含めて石黒博治先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。この真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。