2 霊学について(3)
管理人の補足
管理人より。
六(ムユ)に関して、法絲帖では、説明を飛ばされて解説がありません。そのため七八(ナナヤ)・九十(ココノタリ)・百(モモ)・千万(チヨヨロズ)を解説させていただきます。他の真澄洞関連の書籍で六(ムユ)の記載があればご紹介させていただきます。
Kadota先生
では、七八(ナナヤ)・九十(ココノタリ)・百(モモ)・千万(チヨヨロズ)を解説していきます。ここからは、話す内容が霊的に高度になっていきます。
また、後日紹介する十言神呪ででてくる単語や名称などもあり、これからのお話が縦にも横にもつながっていきます。ぜひ、十言神呪を買って読んでいただけると嬉しいです。
管理人wataame
十言神呪という本があるのですね。読んでみますね。ただ、霊的な知識や興味も持ち合わせていないので、理解できるかなあ。では、よろしくお願いします。
Kadota先生
七八(ナナヤ)をお話します。
霊界では、生まれただけみんなが生きていて、その数は絶対で死なないのです。ですから現界(私たちが生活している世界)より向こうの方が絶対多数で、その交通整理が大変で、その交通整理をしている場所がナナヤなのです。
そして「ナナヤ」の主宰神を、「ココノタリ」と申します。ナナヤ、ココノタリによって、私たちはこの神界と人間との繋がりができるのです。
Kadota先生
九十(ココノタリ)をお話します。
ナナヤの主宰神をココノタリと申し上げています。
ナナヤ、ココノタリによって、我々はこの神界と人間とのつながりができるのです。
Kadota先生
前回のお話の復習もかねてお話しますが、私たちがこの世に生まれてくるときに、お母さんとお父さんの間で私が生まれたのではないです。生まれたのはヒトだけなのです。
ちゃんとナナヤに待機していた御霊をですね、「お前さんはあちらの両親の元へいきなさい」と命令されて、そしてそこで生まれるのです。
ですから、ナナヤは、ナナヤの大神様であるココノタリという神様が、我々とそして子との、親子の縁をつけてくださったのです。
親子の縁が一人でできたのではありません。縁を付けてくださった縁結びの神様がおいでになるのです。私たちは、商売でも、学問でもいろいろなものが縁で成り立っています。
その縁という言葉を狭めて、今人間関係という新しい言葉でいっているわけです。
その人間関係の一番の大本、この世にあなたは人間として生まれるべしという縁と付けてくださった神様が、ナナヤの大神様であるココノタリです。このナナヤの大神様の副神が大山祇命の神様です。
Kadota先生
百(モモ)をお話します。
人間が死にますと、元のナナヤに帰ります。そこで審判されていろいろなところへ行くわけですが、さらに上級界に「モモ」という世界があります。
モモは百という漢字ですが、段階が百段あると世界という意味です。きっちと百段あります。これをある人は極楽、天国とよんでいる。そこは楽ありて苦なき世界で、進歩があって退歩のない世界、停滞のない世界、絶えず進化する世界、それがモモの世界です。
それが人間の目標で、その中には神仙界、仏仙界など、各々三十三段ずつ100段あります。
Kadota先生
千万(チヨロズ)をお話します。
チヨロズというのが神様の世界なのです。神様の世界といったら一つだけあるかと思うとそうではなくで、一千万の段階があります。
神様は総じて一つのもので、絶対に別の働きをなさっていない。だから、私たちが拝み所へ行って神様にお願いすると、何じゃ、あっちの神を拝んでワタシうぃ拝まないから罰をあてたんだ、というのがあるとすると、これは神様ではない証拠です。
何故かといいますと、本当の神というものは、全部が一体のものなのです。ですから、この神様にお願いしたが、あの神様に聞いてくれ。
わたしは知らん、そういったものは絶対にありません。ですから神様が罰を当てるということもない。
罰は後退ですから絶対ない。神様は一即多なんです。神様は、なんぼ持ってきても結論が一つになるんです。
これを数学でやるんばらば、1×1×1・・・=1
霊は、1+1+1+・・・。十人いたら十になってしまう。そこには対立がある。
ところが、チオヨロズは一千万の段階があり、すーと結局スになって、最高にスの神様とスの神様、姿なき神様、スというのはね。スガタのスですからスガタがない。空き巣だとかスというのは大体こういう真ん中にあって、そして無なるものをスという。
そのスは我々のいうこの言葉でいうスではなく、息の音、静かに微かに吐き出す息の音。
寝ている時、すやすやという、あの声がスなんです。
それを日本人は天御中主神を申し上げ、我々はそれを統(ス)の大神を申し上げ、その世界を統(ス)の都と申し上げているのです。
しかし、人間には直接関係はなく、地球上の人間は生きていくエネルギーの99.9999…%は太陽から受けているので、太陽そのものの徳を天照大御神と申し上げています。神話の天照大御神ではありません。
太陽にも神界があり、太陽神界といいます。地球にも神界があり、それをナナヤの宮といいます。太陽の神界は、別の言葉でいいますと、太陽神界は天照大御神朝廷といいます。
地球の神界は、その太陽神界からの命持(みこともち)なんです。その命令のままに動いている。ですから我々は、その地球の神様のことを国津神と申し上げ、それ以外の上級の神様を天津神と申し上げています。
その天照大御神の御徳を、十の神歌で示しになったのが、十言神呪です。この神歌の組立を考えることにより神界がどういう風にできているか、そして我々の一番不可解な人間の内奥というものが、おぼろげながら総合していただくことができるようになる。
十言神呪哲学というものを完成できるのです。
Kadota先生
次回は、霊祭道について少し深堀します。そして、三統義 真澄洞、十言神呪へとお話を続けていく予定です。十言神呪は人間が幸せになるための哲学ですので、一緒に学んで実践していきましょう。
管理人wataame
ナナヤの宮でココノタリ様から親子の縁を付け、天命を全うするとまた、ナナヤの宮に戻り、審判された世界にいくわけですが、神様の世界にも一千万の段階があるとは思ってもみませんでした。
なんだか、神様が身近に感じて、十言神呪の書籍をぜひ読んでみたいと思いました。次回もお話をお願いします。
管理人の補足
今回のお話は、法絲帖(ほうしじょう)の地の巻のp65-69を参照にしています。
法絲帖は、著者は門田博治 発行者は三統義塾、石黒豊信 印刷は中澤印刷株式会社です。残念ながら絶版で、入手が困難な書籍です。
こちらのサイトは、法絲帖を含めて石黒博治先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。この真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。