4 霊の道
Kadota先生
今日は、霊の道についてお話します。
三統義会では霊祭道の三つの道を説いています。
一番はじめにお話した内容に、三統義での教えの霊とは霊的な神様に近づく方法を霊(れい)とお話しました。
今回は霊という言葉についてお話します。では、霊について考えてみましょう。
先ず私たちは霊という言葉をあまりに簡単にいます。一番よく使うのは、幽霊という場合、あるいは霊感という場合ですね。他にもあの人は霊感があるとか。
ところが、霊というものは、本質的なものはそういうものではありません。では、霊とは何かといいますと、沢山のものが集まっている、その沢山のものを一つの物として表現するものを霊といいます。
別の表現をいたしますと、「多を一」と表現する、それが霊なのです。
もう少し例えていいます。今、私といったら、手や足、鼻、目、背骨もあります。他にも毛もあります。それらが一つのものとして働く力を与えているものです。ものの背後にあって、どんなものでもいい、沢山のものを集め、それを操り人形の操り師のように操っているものなのです。
よく見れば、一つのものを動かしています。「多を一」と表現するものが霊なのです。
管理人wataame
霊は怖いイメージですが、集合体のように理解すればいいのですか?
日常で使われている意味とずいぶん違う印象ですね。
Kadota先生
そうです。他にもう一つ意味があります。
それは、「永遠に生きる」という意味もあります。
私たちは、自分というものを、様々な角度から見ることができますね。肉体としても心としても。しかしその肉体や心は全部一秒間といえども止まらないものです。
それが霊なのです。死せざるもの、死なないものといえます。
●そこで、この自分の本質というものに成りきって、そして宇宙の中心と、自分よりは宇宙の中心に近寄っているものにつながろうとする働き、これが霊の道なのです。
三統義の霊祭道の一番最初に書いてある霊の道なのです。
管理人wataame
以前、自分自身について一・二・三四・五のお話をされましたが、そのお話と少し似ていますね。
Kadota先生
以前自分とは何、というテーマでお話しました。
人間の魂は親がこしらえたものではなく、また、どこから来たものか考えると神様より賜ったもの以外説明のしようがないと思います。
では、神様から授かったものは何ですか、何を授かったかと申しますと、魂といいますか霊ですね。
三統義の霊をもう一度お話しますと、霊はバラバラに存在するものを、一つの意思によって働きを纏めるものを霊といいます。
バラバラに存在するものを、一つの生き物としてまとめる。統一する。
統一主体が霊なのです。また、その霊は永遠の生き物であるということです。永遠に生きておるものが、その本質としていろいろなものを、バラバラのものを霊によって、一つにしているもの、されるような主体を霊といいます。
ですから、以前お話した、一・二・三四・五の内容は霊を理解するのにとても大切なお話といえます。
一個の人間というものは、ヒト、フタ、ミヨ、イツの四つの四種類の霊から成り立っている、霊の複合体であるということを強調したいのです。
ヒトは、お母さんの体内で発生し、心臓の鼓動が終わると証明してしまいます。
フタは消滅しない本当の霊で、本霊を直霊(なおひ)といい、仏教では佛(ほとけ)といいます。
フタの本当の意味は、無限に、無限に美しいものという意味なのです。太祝詞事(ふとのりとごと)の「ふと」も、非常に美しいものという意味なのです。
ミヨは守護霊であり、多くは先祖霊で、私たちの運命を造ってゆく霊なのです。
ですから先祖供養の重要性は、自分自身の運命との関連があるわけなのです。
守護霊が良くなると、自然に正しい道を歩くようになり、守護霊が悪いと、どうしても、どんないい環境にいても悪い方向へいきます。体が悪くなるのもやはりそうです。
イツは守護神、神様です。本霊が、この世において栄を、神の栄を実現させようとする働きのものです。
霊とはこのように集合体であり、多を一の表現とも言えます。
管理人wataame
一・二・三四・五のお話は合わせて読めば、理解がすすみますね。
ところで過去の偉人たちで、三統義の霊祭道の道で大成した方って、どんな方ですか。
Kadota先生
霊祭道三統義からみた場合、
キリストは明らかに霊の道で神に至った人ですね。
孔子は道の道で神に至った、格神した人といえます。
私たちには、神に至る道として、霊の道、祭の道、道の道の三つがあるわけです。少なくとも宗教に関心のある人間であれば、この三つのうちどれかはやっている。
ある宗教家によると、この霊の道についての宗教もあるでしょう。
まったく道に偏しているのもありますね。
今の神社神道なんかは全く祭だけのものもあるでしょう。
祭以外は何もやっていない。
今日の様々な宗教を見ると、この三つのどれかが欠けているものがあります。
私の神様は、この霊祭道が過不足なく、過不及なく整っている道が本当の宗教であるとおっしゃられています。霊祭道はお互いに非常に関係があるのです。
十言神呪をお話するうちに理解されると思います。
次回は祭の道と道の道をお話します。
管理人wataame
すごい偉人達の名前がでてきましたが、先生のお話を勉強しながら日々の生活に霊祭道を意識して過ごしたいと思います。
次回も楽しみにしています。ありがとうございました。
管理人の補足
今回のお話は、法絲帖(ほうしじょう)の地の巻のp75-77、174-175を参照にしています。
法絲帖は、著者は門田博治 発行者は三統義塾、石黒豊信 印刷は中澤印刷株
式会社です。残念ながら絶版で、入手が困難な書籍です。
こちらのサイトは、法絲帖を含めて石黒博治先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。この真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。