信仰と霊祭道
Kadota先生
こんにちは。
私は、Kadotaと申します。
真澄哲学についてお話したいと思います。
宜しくお願いします。
管理人wataame
Kadota先生、私たち日本人は無神論者が多く、家のしきたりやよくわからず惰性的に宗教をやっている方が多いように思います。
そもそも、宗教は必要ですか。
宗教による争いは遠い昔から存在しています。近年は、人生を破綻させるほどの寄付金集めなど、幸せにするために教えがなんだか人の欲に利用されているようで、近寄りたくない気持ちもわかります。
また、古くから存在している宗教は、その当時の道徳や生きる上で必要であった考えを教義としているので、現代にも通用するのか疑問に思います。
他方で仏教など、現代の私たちの生き方をたすけてくれるような宗教も多数存在しています。良い宗教、正しい信仰の在り方を教えてください。
Kadota先生
そうですね。すべての宗教の教えが現代に通用しないとは思いませんが、悪しきものもあるとは思います。
今回は、信仰について、お話します。この信仰が正しい信仰であるか、迷信であるか、邪神であるかを何によって見分けたらよいかということを話しますね。
世の中にはいろいろな種類の信仰がありますね。
まず、信仰を大雑把に分けてみると、まず無神論者が上がります。日本ではこれが一番近代的な感じがします。
実際、私はまじめに社会のために尽くし、悪事も一切やってないのだから神様がいるのであれば、守ってくれる、ご先祖様が守ってくれると考えている人は少なくないと思います。
菅原道真公が残した歌に、「心だに誠の道に適うなば、祈らずとても神は守らん」という道徳至上主義を表現した歌があります。
これは現代の無神論者が多い日本人の奥底にある考えのように思いますが、宗教とは言えないですよね。
二つ目に、迷信というか、ほとんど世界の宗教の発生の状態は皆そうですが、霊的宗教です。
霊的宗教とは、霊能者あるいはシャーマン等様々な呼び名がある人が、非科学的な現象を起こすことで、それを神様だと思っている。そういうものを霊的宗教と呼びます。そのなかで本当の神様もいるかもしれませんが、それは、霊であって、神様じゃないです。
ちょっと長くなってきたけど信仰について大雑把にお話しましたがわかりましたか?
管理人wataame
はい、大丈夫です。でも、信仰が大事にされている理由がよくわからないです。
Kadota先生
そうだね。では、信仰のお話の続きをしますね。
正しい信仰とは、霊(れい)、祭(さい)、道(どう)の三つを過不足なく整っていることです。
では、霊(れい)、祭(さい)、道(どう)について、お話をしていきますね。
最初に霊(れい)についてです。
霊とは先ほどお話したような霊的な神様に近づく方法を霊(れい)と言います。
Kadota先生
次に、祭(さい)についてお話します。
祭(さい)とは、先ほどお話した神様に近づく方法、霊(れい)の祭りかたが祭(さい)です。
祭とは、人が、何らかの儀式、これは人間と人間以外の存在との約束事を執り行うことです。それを祭(さい)といいます。
けれど、現在の日本の神社やお寺は要するに祭りだけをやる。日本の信仰の一つに、お寺や神社にお参りする習慣や宗教がありますよね。
わかりやすく例えれば、神様がお出になろうが、出なかろうが関係ない。
また、葬儀の際には、亡くなった方が地獄へ行くのか、極楽浄土に行くのか、はっきり知らないお坊さんが念仏を唱えて送っているのです。
Kadota先生
次に道(どう)についてお話します。
簡単に言えば、人間が正しい道を行うことをいいます。
道徳的に親に孝行して、夫婦仲良くして、教育勅語に書かれていることを全部踏み行いますと、これは道徳的な道です。
道徳的な道とは、人格の向上、品性の完成が道徳の目標です。これを一生懸命にやっておりますと道が開けてきます。
Kadota先生
この霊祭道の三つが過不足なく整っていて、霊祭道の三つを完全に執り行っているものが良い宗教であると言えます。
気になる宗教があればこの霊祭道があるか一つづつ確認すると良いですよ。
この霊祭道の三がそろっていることを、私の会、三統義会(さんとうぎかい)と申しますが、御統(みすまる)といいます。完全というのが御統(みすまる)です。この三統義なるものを、私に霊的に教えてくださった神様が大山祇命です。
管理人wataame
霊、祭、道の三つが過不足なく、バランスよく執り行われている宗教が良い宗教、信仰ということですね。なんだかわかりやすいですね。
でも最後のお話で神様の名前が出てきたのですが、kadota先生もいわゆる霊能者なのですか?
Kadota先生
そうです。様々な神様や明神様から教えを頂いて、霊祭道の三つが過不足なく整っているのが本当の信仰であるというので、三統義というものを授かりました。
そして三統義会の発足に至ります。私たち人間が神様に達するためには、そして神様を知るためには、信仰すれば一番良いですよ。
この霊祭道の三つの道によって、人間は神様に達することができ、別の言い方をすれば、神様にお目にかかることができます。
霊的にね。霊的とは心の霊ですよ。心霊的に神様にお目にかかろうと努力する人があります。そういう信仰もあるでしょう。それから、神社のように祭りをやって神様に届こうとするものがあるでしょう。
それから、キリストや釈迦、孔子、老子だとかいう人は、道によって神様に届こうとした。
三統義とは三つを統(す)べる義と書きます。スに至るための道は三つの道を示しています。
今後は、そのあたりのお話も話していきますが、次回は、霊学、霊祭道について、もう少し話していきますね。
管理人wataame
興味深いお話でした。次回も楽しみにしています。お願いします。
管理人の補足
今回のお話は、法絲帖(ほうしじょう)の地の巻のp47-57、p161を参照にしています。
法絲帖は、著者は門田博治 発行者は三統義塾、石黒豊信 印刷は中澤印刷株式会社です。残念ながら絶版で、入手が困難な書籍です。
こちらのサイトは、法絲帖を含めて石黒博治先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。この真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。