11 十言神呪 第三の組立て(2)
Isiguro
こんにちは。
前回に引き続き、十言神呪の第三の組立てについてお話します。
前回は、
上の段のス、
神霊界のマ・カ・ミ、
幽界のホ・ア・ミ、
現象界のテ・オ・ラ
の組立ての説明をいたしました。
今度は、縦に考察します。
この三つの階層を貫き最高点スで
一点に集まる三本の縦の道筋、
いわゆる霊の道、祭の道、道の道です。
三つの道筋はスに昇るそれぞれの方法に違いがり、
また、道筋は階層によって何らかのレベルの違いがあります。
管理人wataame
こんにちは。
前回に引き続き第三の組立ての続きですね。
前回は横の階層でしたが、今回は縦であり、
神霊界、幽界、現象界の階層を貫く教えと理解しています。
以前お話した霊祭道の三つ道の実践と思い、
しっかり聞いて理解できるよう頑張ります。
Isiguro
「第三の組立て」をご覧ください。
(十言神呪 p15より抜粋)
組立ては下から登ります。ここでは必ずオから出発します。
右がオ・ラ・ミ・ミィ・スと上昇し、
物質(創造)的展開で「霊の道」です。
真ん中は、オ・ア・カ・スと上昇し、
生命的展開で「祭の道」です。
左がオ・テ・ホ・マ・スと上昇し、
法則的展開で「道の道」です。
大切なことなのですが、三つの道をまとめると霊祭道になります。
霊祭道は、人間が神にまで進化向上するための三つの方法のことです。
Isiguro
Kadota先生がお話しましたが、
もう一度簡単に霊・祭・道のそれぞれの言葉についてお話します。
Isiguro
まず「霊」ですが、
正しい神様と繋がり導いていただくため、
「霊行」を行います。
霊行とはいろいろあります。
水を被ったり、滝打ちをしたり、断食をしたり、
座禅を組んだり、真言を唱えたり。
やむにやまれぬ精神状態からの脱却といえます。
これは己の霊性を磨くものです。
Isiguro
「祭」ですが、
「祭」とは祭祀のことです。
これは大神様をお祭り申し上げることです。
商売繁盛や病気治癒などの自己利益のために、
自分のためになる神様であれば何でもいいから信仰して、
お祭りするというものではなく、
己の霊性を高めるための正しい神様につながる祭祀です。
Isiguro
「道」ですが、
「道」とは、普通に使われる意味の道徳ということです。
己の頭の中の理性で判断することが
合理的であると思う方も多くなりました。
けれど、人の道を踏むには、
聖人・神様を手本に知恵を借りて歩まなければなりません。
管理人wataame
霊祭道の三つの道はKadota先生からもお話していただきました。
霊祭道の三つが過不足なく整っていて、
霊祭道の三つを完全に執り行っているものが、
良い信仰であり、宗教であるいわれていました。
「霊」についても、
私というものは、ヒト、フタ、ミヨ、イツの
四つの四種類の霊から成り立っている、
霊の複合体であるということをお話していました。
私たちが霊と聞いて頭に浮かぶイメージは、
己の霊性を磨く霊行の霊のイメージのほうが多いように思います。
Isiguro
そうですね。
霊行は先ほどお話したような苦行をなすことで、
霊行が成就し、己の霊性が磨かれるというわけではありません。
現象界における清々しさで終わってしまします。
これはまた神様からの導きがなければ危険でさえあります。
霊行は信仰、即ち祭祀と表裏一体のものでなければ成就しません。
Kadota先生が、神様から霊の道、祭りの道を賜ったのは、
霊と祭は一緒に啓示する必要があったためだと思います。
Isiguro
祭祀を完全に行うのに霊行が必要であることの例をお話します。
祭祀にかかわる人には、
不浄を避けるための、
荒忌(あらい)みとか真忌(まい)みのような物忌みがあります。
これは霊行です。
祭祀と霊行を合わせて執行することによって「祭」が成就します。
言い換えると霊と祭によって真の「祭り合い」が成就するのです。
管理人wataame
ありがとうございます。
三つの道に説明はわかりましたが、
それぞれの道に坐している神様と縦の道の関係をお話していただけますか。
Isiguro
はい。では前回お話した五柱の神様についてお話します。
天御中主命、天照大御神、少彦名命、住江大神、大国主命です。
この五柱はそれぞれ神呪に対応しています。
天御中主命はス、ミィ
天照大御神はア、カ
少彦名命はテ、ホ
住江大神はマ・ミ
大国主命はオ・ラ
そして、この五柱の神様をそれぞれ真澄神と申し上げ、総称して「真澄大神」と申し上げています。
真澄大神を信仰することで、
人間がこの現世、言い換えれば人間霊界に誕生した意義を悟ることができ、
その使命を全うする礎ができます。
この真澄信仰が本当の信仰になり、
基本的な信仰になるのです。
人それぞれに縁のある神様や仏様がございましょう。
ですがそれだけではその仏の世界にとどまります。
真澄信仰については次の機会でお話いたします。
Isiguro
では「祭の道」と神様との関係をお話します。
「霊の道」と話が混ざっていくかもしれません。
まず、「祭の道」、オ・ア・カ・スと上昇していきます。
神様は大国主命、天照大御神、天御中主命です。
祭祀は神様と己自身が、
お互いに「祭り合う」つまり「真釣り合う」ことにあります。
「祭り合う」には、
大国主命と天照大御神のお札を一緒に納めることが基本となります。
この際、併せて氏神様のお札も納めてください。
そして月々の祭典である月並祭(月例祭)をします。
誕生日を年大祭とし、誕生日と同じ月を月並祭とします。
正しい信仰によって祭り合いをすることによって、
その信仰がオからアへ、
その上の奥なるカの天照大御神、
さらにスに届くのです。
同時に、真澄信仰により、
スから発せられた詔(みことのり)を賜うことができます。
Isiguro
上津彼方のスより伝達された詔が天照大御神朝廷に届き、
それが大国主命の朝廷(ナナヤの宮)に届き、
それを人間が賜ります。
ここに人間は与えられた使命を果たすことができるようになります。
使命を果たすことで、人間は霊体を磨くことができ、
向上の道を歩みます。
ついには、人間はこの天照大御神と同じような霊体をもつことができます。
こういうスに統一しなければならない使命を人間は荷っています。
また、この使命を果たすために、
霊体を磨かされることもあります。
これが「祭の道」として、
人間がこの現世の中において祭り事をしなければならない理由です。
同時に、霊的な行を実行することによって、
これを次第に成就することができるようになります。
管理人wataame
祭りとは神様と人間の約束事であるといった話を思い出しました。
その約束事、真釣り合うことが、
私たちの使命を果たすことができるようになるのですね。
では、無神論者は自分の使命を見つけることができないのでしょうか。
無神論者でも社会的に成功して、
社会に貢献している方も沢山いるとは思いますが。
Isiguro
人間道徳である「道の道」があります。
無神論者の中にも、
先人からの哲学、道徳、知恵を学んで時代を導いた方々も
沢山おいでになると思います。
このあたりのお話も「道の道」でお話しますね。
次に創造(物質)的展開の「霊の道」をお話します。
Isiguro
「霊の道」、オ・ラ・ミ・ミィ・スと上昇していきます。
神様は大国主命、住江大神、天御中主命です。
先ほど、「祭」について述べましたが、
同様に祭祀を完全にするには霊行が必要です。
即ち霊と祭によって真釣り合いが成就します。
現象界にあるオとそれに続くラはの神呪は、
霊行の出発点です。
オとラの社会生活には様々なことがあります。
家庭内のこと、社会のこと、人間関係など様々です。
それは自分自身の周りに起きることですが、
自分自身のこととしてとらえることが第一歩となります。
じっと、自分の来し方を内省することにあります。
管理人wataame
私はダメ人間なので反省だらけの毎日です。
すみません(笑)。
でも、どのような事を内省をすればいいのですか。
Isiguro
私たちは、大国主命より遣わされた御方々のお世話によって、
この現世で楽しく生活をさせていただいています。
そして、先人によって造られた文明を享受しています。
もうお分かりかとおもいますが、
今の自分を作っていただいた、
ご先祖、両親、配偶者、子供たちに感謝することから始めます。
これが霊行の「ラ」の始まりなのです。
この霊行によって、物質的な実りに恵まれるようになります。
管理人wataame
幸せになる自分自身の心持として、
ご先祖、両親、配偶者、子供に感謝することは良く聞きます。
では、何の感謝もしない、
また何の苦労もしない方や
親子仲や夫婦仲が悪い方がいるように思いますが、
これについてはどうでしょうか。
Isiguro
何の苦労もしない方もいますが、
現象界の実りの満足はいつまでも続くわけではありません。
人生には浮き沈みがあり、悩みや苦労がつきまといます。
また、人間関係においては因縁を自覚し、
人間生活を真に生きるにはどうすればいいのか、
と道を探すことになります。
あるいは祭祀を行い、あるいは鎮魂を行ってその道を探すことになります。
ここで大切なことは、「霊の道」にミがあります。
ミは住江大神であり、住江大神は禊の神様です。
同時に「真理の神様」でもあります。
人間はこの世に生まれ、
くさぐさの因縁を落とす道に進むことになります。
これはどうしても人間が背負わなければならないのです。
住江大神に出会うことにより、
因縁を落とし、解脱し、
さらなる真理の道に進むことができるようになるのです。
祭祀と霊行を同時に行うことにより、
次第に麗しい欄の薫りが漂い、霊的に整ってまいります。
Isiguro
さらにその霊行による麗しい薫りは遂には、
神々と一体の世界ミィにまで突き進みます。
人間が神と共に生きる世界に入ります。
人間は神様のご命令のままに動くことが出来るようになります。
孔子の「己の欲するところに従って矩(のり)を踰(こ)えず」という世界です。
まさに、神様と歩世界、それがこのミィ字の神呪です。
弘法大師の四十八か所参りの「同行二人」も
このミィ字の神呪を実践するものと言うこともできます。
ここに、人間の最高品性の薫りがただようようになります。
Isiguro
次回は、「道の道」と神様の関係をお話します。
今日のお話は少し長かったですね。
では、ありがとうございました。
管理人wataame
先生、霊の道、祭りの道のお話ありがとうございました。
祭祀と霊行を同時に行うことが大切なのですね。
次回もよろしくお願いします。
管理人の補足
今回のお話は、十言神呪のp35-41を参照にしています。
こちらのサイトは、石黒豊信先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。
十言神呪は、著者は石黒豊信 発行所はミヤオビパブリッシング 発売元は(株)宮帯出版社です。宮帯出版のWebサイトをはじめ、物販の取り扱いをしているWebサイトで入手可能です。
多くの方がこの真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。