25 十言神呪 第三の組立てと第四の組立て

十言神呪

25 十言神呪 第三の組立てと第四の組立て

Isiguro
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今回は、最高道徳である第四の組立てを第三の組立てと比較してお話したいともいます。

第三の組立ては宇宙の神韻を述べたものといわれています。

宇宙の不可思議を読み解き、
霊祭道の三本の道を示して
人間の到達すべき「神」に至る方法を明らかに示しています。

したがって、道筋のみで簡潔になっています。

これに対して
第四の組立ては詳細な人間の構造を示し、
また、人間の社会生活の仕方を述べ、
一方で人間の内的生活の仕方を明らかに示しています。


第四の組立ては、最高品性、即ち、人間の到達すべき「神」に至る方法を具体的に示しています。

言い換えますと、
第三の組立ては大宇宙の中で人間が神に向き合いながら、
神にまで進化向上すべき道を示しています。

第四の組立ては小宇宙である人間が地球霊界において
社会生活を営みながら、自分自身の中をじっと眺めることにより
神に至る道を示しています。
Isiguro
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十言神呪の主宰神は五柱の神々で、
それぞれ二回ずつ役割を分担されたものが第三の組立てであり、
また、第四の組立てではそれぞれ表と裏を司っておられます。
この中に神々の役割としての上下関係があります。
Isiguro
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第三の組立ての霊祭道の三本に道にそって、第四の組立てのお話をしていきます。

まず、第三の組立ての「霊の道」の縦筋は、
オ字(大国主命)から始まり、

ラ字(大国主命)、ミ字(住江大神)、ミィ字(天御中主命)・ス字(天御中主命)となっています。これを物質(創造)的展開とよんでいます。

人間の精神的な生き方を現しています。
物質・富などの物に関することです。

オ字やラ字は肉体を養う上において
お世話になった方々に対する感謝で、
この実行は蘭の薫りを高め富が増します。

ミィ字、ス字(天御中主命)は肉体を透明にした姿を述べています。

己の中の最高品性が輝き、外の神様との照らしあいが始まります。

その為には、現実の肉体から、肉体を清浄にし、
透明にまで高めていかなければなりません。
その転換を図っていくの禊の行のミ字です。

人間の肉体は一つの霊体です。
肉体と霊との別々のものが存在するのではなく、
肉体と霊とは連続的に変化をするものです。

肉体はミ字を行じることによって、
そのポテンシャルを大きくし、
透明的なものに向上させることができるのです。

その証明がナナヤの宮参宮記に示してある門田博治先生の姿です。

第四の組立てにおいては、
「霊の道」は、社会生活においてわがままな、
神様から見放された、魂を汚す生活を送るのではなく、
肉体人間を抑え、品性を輝かし、神様に結びつける
生活を送ることを述べています。

その本質は「純粋正統の学問の原理」「伝統の原理」にあります。
Isiguro
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第三の組立ての「祭の道」の縦筋は、
下からオ字(大国主命)、ア字・カ字(天照大御神)、ス字(天御中主命)
になっています。

この筋を生命的展開としてあります。
その理由は、この三柱の神々が人間のあらねばならない姿を示しているからです。

人間が人間として生き、
過ににまで至らねばならないことの本質を現しています。
そのためには、大国主命と天照大御神を信仰しなければならない。
即ち「真澄信仰」の理由がここにあります。

さらに加えると、
第四の組立てにある大国主命、天照大御神、天御中主命は
人間の本質の構成要素です。

したがって、真澄信仰とは、自分自身を祈る信仰でもあるのです。
いいかえれば、ここに、神様と人間との祭り合いがあるのです。

第四の組立てにおいて、「祭の道」の神々は、
人間の肉体、その中の慈悲・愛、最深部にある「最高品性」と
人間自身を支えるものです。

ですから、神様の「最高品性」そのものは磨くものでなく、
人間の中に存在するものです。

磨かねばならぬのは、人間の霊性・魂そのものです。
その本質は、「自我没却の原理」、「神の原理」、「義務先行の原理」です。
Isiguro
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第三と第四の二つの組立てのスの位置を確かめてください。
最高品性であるスは宇宙の彼方と人間の深部の両方にあります。
この二つのスが響きあうのです。

●第三の組立ての「道の道」の縦筋は、
オ字(大国主命)から始まり、
テ字・ホ字(少彦名命)、マ字(住江大神)とあります。
法則的展開です。

これは人間が人として対外的な生き方を現しています。
即ち、人間関係には少彦名命の慈悲や日々の反省が必要です。

すべてのものに対する愛・人間関係の歪みを正していただくものです。
道徳はここで止まってはけません。

その上のマ字に至り。

真理の神様とつながらねばなりません。

「道徳の究極は信仰にある」、そのことを述べていますが、
ホ字とマ字の間には大きい段差があります。

信仰のない方々は、いろいろなことを言いますが、
「道徳に信仰はいらない」というのは、大きな誤りです。
この段差をつなぐものが真澄信仰です。

廣池先生は、「神は宗教の専有にあらず」と申しているのです。

第四の組立てにおいて「道の道」は、
競争生活から人助けの生活への転換です。

そのことを神々に祈る生活が人間には必要なのです。
その本質は人間の生き方である
「生存競争の原理」「人心開発及び救済の原理」にあります。
Isiguro
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あらためて第三の組立てと第四も組立ての関係について述べました。
人間が、この現世という人間霊界において、
神にまで進化向上しなければならない。
そのためには、
十言神呪という真澄信仰がなければならないことを述べました。

十言神呪の「道の道」すなわち「最高道徳」は、
第4の組立てに従って、人間を霊的存在として捉え、
説明しています。

即ち、新たなる道徳哲学は、
人間を現世から神々の世界に至る導線上のいろいろな位置に置いて考えねばならないことをご理解ください。
管理人の補足
管理人の補足

今回のお話は、十言神呪のp227-232、p182を参照にしています。

こちらのサイトは、石黒豊信先生が発行している三統義会 真澄哲学に関する書籍を忘備録的に書き綴っています。

十言神呪は、著者は石黒豊信 発行所はミヤオビパブリッシング 発売元は(株)宮帯出版社です。宮帯出版のWebサイトをはじめ、物販の取り扱いをしているWebサイトで入手可能です。

多くの方がこの真澄哲学に興味を持って実践し、人生の幸せを見つけることを祈念しています。

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